ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオは、バロック期を代表するイタリアの画家です。
その人生は破天荒そのもので、波乱の生涯を送りました。
カラヴァッジオの晩年と最期について紹介します。
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオとは?
カラヴァッジオは、バロック期の絵画の形成に多大な影響を与えた人物です。
写実的に描くことを追求し、光と影を巧みに操る技法を駆使した絵画は高く評価されています。
画家としては人気を博し、有力者からは次々と注文が舞い込んでいきます。
そのため多額の謝礼を得ており、経済的には恵まれた人生を送りました。
しかし、気性は非常に激しく、私生活ではトラブル続きでした。
警察沙汰になったことも一度や二度ではありません。
ついに、乱闘事件で人を殺してしまうという事件も起こしました。
カラヴァッジオの晩年
カラヴァッジオは、ローマにおいて「聖マタイの召命」と「聖マタイの殉教」という絵画を描きます。
これらの作品は大評判となり、カラヴァッジオは一躍人気画家となりました。
それにより有力貴族や教会などから次々と宗教がの依頼が舞い込みます。
そして、様々な名作を世に送り出しました。
しかし、ある日カラヴァッジオは些細なことがきっかけで乱闘となり、一人の若者を殺してしまいます。
警察から追われる立場となったカラヴァッジオは、ローマを逃げ出します。
その後はナポリからマルタ、シチリアとヨーロッパ各地を転々としました。
その先々で画家として絵は描き続けており、優れた作品を多数残しています。
ただし、マルタでも傷害事件を起こして投獄されたものの脱獄したり、ナポリで何者かに襲撃されて重傷を負うなど次々とトラブルに見舞われています。
カラヴァッジオの最期
カラヴァッジオは、ずっとローマに戻ることを希望していました。
カラヴァッジオを庇護する人々のおかげもあり、恩赦を受けることが決まりました。
ところが、カラヴァッジオが恩赦を受け取るためにナポリからローマに赴く途中、急死してしまったのです。
享年38でした。
カラヴァッジオの死因
カラヴァッジオがなぜ亡くなったのか、はっきりとは判明していません。
熱病にかかったことで亡くなったという説もありますし、鉛中毒によって亡くなったという説もあります。
鉛中毒は当時の画家特有の病と言われていました。
なぜかというと、絵画に使用する顔料には大量の鉛が含まれていたからです。
カラヴァッジオをめぐる逸話
カラヴァッジオは、1980年代にイタリアの紙幣の肖像画に採用されました。
殺人者を肖像画にするなんてという批判もありましたが、当時の時代背景なども考慮されそのまま採用されています。
まとめ
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオは人気画家として成功しますが、人を殺してヨーロッパを転々とします。
そして恩赦を受け取るためにローマに戻ろうとしたところ、急死してしまいました。