「ルイス・フロイス」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「ルイス・フロイス」の死に際とは?世界の人物

ルイス・フロイスはキリスト教イエズス会の宣教師で、「日本史」を記したことがよく知られています。

ルイス・フロイスの晩年や最期について紹介します。

ルイス・フロイスとは?

ルイス・フロイスは、ポルトガルのリスボンに生まれます。

16歳の時にイエズス会に入会し、ポルトガルの領土でアジアの拠点となっていたインドのゴアに赴きます。

そこでフランシスコ・ザビエルと出会い、大きな感銘を受けました。

そして日本に渡り、布教活動を行います。

織田信長に対面すると布教活動を許され、その後は信長の庇護を受けて多くの信徒を獲得しました。

ルイス・フロイスの晩年

ルイス・フロイスは日本で布教活動に邁進していましたが、布教活動の第一線からは離れることになりました。

イエズス会としての活動の記録を残す仕事を行うためです。

ルイス・フロイスはこの活動に熱心に取り組み、フランシスコ・ザビエルが日本を訪れて以降の布教について執筆します。

この歴史書は後に「日本史」と呼ばれ、当時の時代を知る貴重な資料となっています。

しかし、織田信長が亡くなり豊臣秀吉の時代になると、秀吉はキリスト教に対して危機感を抱くようになります。

キリシタンの勢力が拡大するにつれて、仏教や神道が攻撃されるのではないかと危惧したからです。

また、日本人を奴隷として売られてしまうのではないかと心配したともいわれています。

そのためバテレン追放令が出され、ルイス・フロイスは活動を行っていた畿内を去らなければならなくなりました。

最終的には長崎に落ち着き、ここで暮らすことになります。

巡察師であるアレッサンドロ・ヴァリニャーノが来日した際には、ヴァリニャーノに同行して秀吉と面会したりマカオに赴いたりもしています。

ルイス・フロイスの最期

ルイス・フロイスは、マカオから長崎に戻り執筆活動を続けていました。

そして、65歳の時に亡くなります。

亡くなる直前まで執筆活動にいそしんでおり、最後に記したのは「二十六聖人の殉教記録」でした。

ルイス・フロイスをめぐる逸話

ルイス・フロイスが日本にやってきたのは1563年で、そこで同僚の修道士から日本語や日本における風習を学びます。

アレッサンドロ・ヴァリニャーノが来日した際には通訳を務めているので、ルイス・フロイスは布教活動をする中で日本語をかなり習得していたと考えられます。

ルイス・フロイスが記録した日本史は膨大すぎて本国には送られず、しばらくマカオで忘れられていました。

しかし、後に発見されると当時の人々の生活が細かく記されており、貴重な資料となったのです。

キリシタンを保護した織田信長については、とても好意的に書かれていたようです。

豊臣秀吉のことは、夫人の他に妾が沢山いるといったことも書かれていました。

まとめ

ルイス・フロイスは、イエズス会の宣教師として来日し布教活動を行います。

晩年は日本の記録を残すことに精魂を傾け、長崎で65歳の時に亡くなりました。

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