クボタショックの犠牲者だった?「戸部けいこ」の死に際とは?
この記事では戸部けいこの晩年と死に際について解説していきます。
「戸部けいこ」とは?簡単に説明
日本で大きくアスベストの健康被害問題が大きく取り上げられる契機になったのは2005年に石綿障害予防規則が成立する前後からの事でした。
実際には著名人の被害者がいなかった事でピンとくる方も少なかった様に思えます。
戸部氏はその僅かな著名人の被害者として有名です。
漫画家としてはデビューした秋田書店系列の雑誌で連載続けると自身の体験を交えた「光とともに…」がドラマ化、世界各地で翻訳出版される代表作となりました。
「戸部けいこ」の晩年
前述した秋田書店『フォアミセス』で連載された『光とともに…』は多くの読者の共感を呼んで文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞するなど順風満帆の日々を送っています。
翻訳版が東アジアと北米でリリースされており、多くの支持を世界から集める事になっていました。
しかし好事魔多しとはこの事で08年末に突然の体調不良に襲われてしまうのでした。
そしてその病名は中皮腫だと判明。
その結果意外な事実が判明しています。
「戸部けいこ」の死に様
2010年1月28日、東京都千代田区の入院先で死去。
48歳没。
死因は中皮腫によるものでした。
「戸部けいこ」の死に様の信憑性
彼女が08年末に訴えた息苦しさのもとは中皮腫によるものてあり、胸膜中皮腫でした。
同病は悪性腫瘍にしては稀であり、アスベストが関与する事が大きな問題として認知されていました。
全くアスベストとは関係のない生活を送っていた様に思えた彼女でしたが、約30年前に通っていた高校が建設大手クボタの神崎工場の一キロ圏内である事が発覚。
世間を賑わせた“クボタショック”の当事者かつ被害者である事が判明します。
アスベスト飛散のシミュレーションは各媒体で行われており、若干の誤差はあるもの近ければ近いほどアスベストによる健康被害に遭う機会は明らかでした。
難治性の病気ではあるもの病室に仕事道具を持ち込んで執筆活動を続け、抗癌剤治療も行っています。
1度は化学療法の成果も出たもの次いで腹膜にも中皮腫は転移。
全身が中皮腫に襲われた事で腹水などの痛みに苦しめられる事になってしまいました。
もはや投薬もできず肺水や腹水を抜く事によるペインケアしかできない状態に陥り、最期の刻を迎えたそうです。
まとめ
2010年1月28日、東京都千代田区の入院先で死去。
48歳没。
死因は胸膜中皮腫の憎悪によるものでした。
08年末に胸の息苦しさから発覚した病は中皮腫と言われる比較的珍しい悪性腫瘍でしたが、アスベストが大きな原因になっているのは既知の通り。
約30年前に通った高校が05年のクボタショックで話題を集めた機械メーカー大手クボタの旧神崎工場から一キロ圏内に存在。
戸部氏は図らずもクボタショックの被害者だった事が明らかになっています。
病室でも執筆活動を続けていたもの胸膜だけではなく腹膜にまで転移が拡がってしまいました。
投薬治療も不可能になり、最晩年は腹水を抜くホスピスケアしかできない状態だったそうです。
クボタの工場勤務者や駅周辺住民以外でのアスベスト被害に罹患した著名人であるのは間違いありません。
そのため現在でもしばしば彼女の名前は多々報道されており、その死に際の信憑性も高いと言えるでしょう。