この記事では、「ルートヴィヒ2世(バイエルン王)の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「ルートヴィヒ2世(バイエルン王)」とは?
ルートヴィヒ2世は、1845年にバイエルン王国を治めるヴィッテルスバッハ家の長男として誕生しました。
1864年に父であるマクシミリアン2世が崩御したことで、国王として即位します。
ノイシュヴァンシュタイン城やヘレンキームゼー城、リンダ―ホーフ城など豪華な装飾を築きました。
そのためメルヘン王と呼ばれることもあります。
また、作曲家ワーグナーの庇護者としても知られています。
「ルートヴィヒ2世(バイエルン王)」の晩年
1870年にフランス帝国とプロイセン王国との間で戦争が起きると、ドイツ帝国が誕生しバイエルンもドイツの一部となりました。
この時、ドイツから多額の交渉金を得たことで、ルートヴィヒ2世はノイシュヴァンシュタイン城など城づくりの資金にしたといわれています。
ルートヴィヒ2世は中世騎士道物語憧れていたため、それを実現するための城を作ろうとしたのです。
ワーグナーに心酔しており、ワーグナーのオペラに登場する古きドイツの騎士城をコンセプトに掲げ城づくりに邁進しました。
しかし、築城にかかる費用をめぐりバイエルン内閣と対立するようになっていきます。
「ルートヴィヒ2世(バイエルン王)」の死に様
ルートヴィヒ2世は1886年、バイエルン政府によって逮捕され退位させられてしまいます。
廃位となった理由は精神病でした。
そしてベルク城に送られています。
その翌日、医師であるグッデンと共に散歩をすることを許されますが、シュタンベルクの湖畔で水死体となって発見されました。
享年40です。
「ルートヴィヒ2世(バイエルン王)」の死に様の信憑性
ルートヴィヒ2世の死に関しては謎が多く、死因についてもはっきりとは分かっていません。
付き添っていた医師が殺したという説もありますし、心臓発作を起こしたという説もあります。
ルートヴィヒ2世自身が自殺したという説もありますが、表向きは心臓発作となっています。
また、廃位となった理由は精神病ですが、浪費してばかりのルートヴィヒ2世にバイエルン内閣が怒り精神病者に仕立て上げたともいわれています。
まとめ
ルートヴィヒ2世は晩年、自分の理想の城を作り上げることに熱心でした。
しかし、国王の座を追われ廃位させられてしまいます。
そして40歳で謎の死を遂げました。