この記事では、「ラウル・ジュリア」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「ラウル・ジュリア」とは?
「ラウル・ジュリア」とはプエルトリコ出身の俳優で、アメリカのブロードウェイの舞台や映画で活躍しました。
1964年にニューヨークで、舞台俳優としてデビューを果たします。
数々のブロードウェイの作品に出演し、トニー賞には4回もノミネートされました。
その後、映画でも活躍するようになり、1985年には「蜘蛛女のキス」に出演します。
この作品でゴールデングローブ賞の主演男優賞にノミネートされています。
「ラウル・ジュリア」の晩年
「ラウル・ジュリア」は、晩年も俳優として活動していました。
晩年の代表作には、映画「アダムス・ファミリー」と「アダムス・ファミリー2」があります。
アダムス・ファミリーは1991年に制作されたホラーコメディ映画で、主人公であるアダムス夫妻の夫ゴメズ・アダムスをコミカルに演じました。
ドラマやアニメとして人気だった「アダムスのお化け一家」のリメイク作品で、日本でも大ヒットした映画です。
今でも長く愛され続けています。
1994年には、日本の対戦型格闘ゲームを原作とする映画「ストリート・ファイター」にも出演しています。
1995年にはテレビ映画「闇に抱かれて」に出演しており、これが「ラウル・ジュリア」の遺作となりました。
「ラウル・ジュリア」の死に様
「ラウル・ジュリア」は、ニューヨーク州のマナセットで亡くなりました。
享年54です。
死因は胃がんと脳卒中の併発と発表されています。
私生活では2度結婚しており、1976年に結婚した2度目の妻マレル・ポロウェイとは最期まで添い遂げています。
「ラウル・ジュリア」の死に様の信憑性
「ラウル・ジュリア」の胃がんが判明したのは、1991年頃とされます。
ちょうど映画「アダムス・ファミリー」が公開された頃でした。
手術を受け、俳優業もそのまま続けています。
胃がんであることは、公表していません。
その後、映画の撮影中に食中毒になり、体重が激減したこともありました。
激しい腹痛で病院に搬送されると脳卒中を起こし、昏睡状態のまま数日後に亡くなったとされます。
「アダムス・ファミリー」シリーズの続編も予定されていましたが、制作されることはありませんでした。
まとめ
「ラウル・ジュリア」は、晩年に大ヒット映画「アダムス・ファミリー」に出演しています。
しかし、胃がんを患い脳卒中を併発して亡くなりました。
享年54です。