「ピート・バーンズ」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「ピート・バーンズ」の死に際とは?世界の人物

世界的に人気を博したイギリスのバンド「デッド・オア・アライヴ」のリーダーを務めていたピート・バーンズは、57歳で死亡しています。

今回は、90年代のダンスミュージックにおけるアイコンと言っても過言ではなかった彼の死因に迫ります。

「ピート・バーンズ」とは?簡単に説明

1959年にイギリスのリヴァプール近郊で生まれたピート・バーンズは、イギリスの人気バンド「デッド・オア・アライヴ」のリーダー兼ボーカルで、90年代に世界的に流行した音楽ユーロビートの先駆者としても知られています。

彼らの斬新な音楽性と、ピートの中性的な容姿はたちまち世界中のファンを魅了し、イギリスのチャートで第1位を獲得した後は、17もの国々で1位を記録していきます。

ファンや関係者などからは、絶世の美男子と称されていたピートでしたが、幼少期から悩み続ける自身の顔へのコンプレックスはなかなか抜けず、顔の整形手術を頻繁に行うようになっていきます。

美への執着が強過ぎるあまり、稼いだ金の大半を整形費用に投じていたピートは、度重なる整形手術の失敗を経て、2016年10月23日、急性心不全により57歳で死去しています。



「ピート・バーンズ」の死に様

2016年10月23日、ピート・バーンズは急性心不全により57歳という若さで亡くなっています。

幼少の頃から自身の鼻にコンプレックスを持っていたピートは、自身が率いるバンド「デッド・オア・アライブ」が世界的なヒットを連発して成功を収めると、長年悩み続けていた鼻の整形手術に踏み切ることになります。

長い間苦しみ続けた鼻の悩みが解消されたピートは、次に唇をぷっくり大きく見せるための整形手術を受け、その手術が失敗したことで、顔全体に肉芽腫が発生してしまい顔面崩壊とも言える事態に発展してしまいます。

さらに症状は悪化していき、失明の危機にも直面したピートは、その後自身の整形医を訴え裁判を起こしています。

裁判により整形医と和解したピートは、自身の顔が手術前の状態に戻ることはないことを知りショックを受けますが、再び音楽活動を再開させていきます。

変わり果てた顔のピートはその後、タレントとしてイギリスの芸能界で復活を果たしますが、急性心不全により57歳で死去しています。



「ピート・バーンズ」の死に様の信憑性

ピート・バーンズは晩年、自身の顔のコンプレックスを解消するために今まで300回を超える整形手術を受けていたことを告白しています。

世界的な成功を収め、手に入れた莫大なお金はすべて治療費につぎ込み、当時3億円の価値があった豪邸さえも治療費を捻出するために売り払ってしまっていたと言います。

彼らの成功の証とも言える過去の楽曲の著作権さえもすべて整形費用に代えてしまっていたピートは、その後も整形手術を止められず、少しずつ変わり果てていく彼の顔を見続けているファンや関係者たちは、言葉を失っていきます。

顔の不調に加えて、腎結石などの健康障害にも悩まされていたピートは、2014年に破産宣告を受け、2015年には家賃未払いによりアパートから追い出されるなど、晩年もお金に苦心し続け、最終的には急性心不全により死去しています。

「ピート・バーンズ」の小ネタ等

3回に渡って来日し、日本国内で足掛け13か所ものコンサートツアーを行ってきたデッドオアアライブは、ユーロビートのパイオニアとも言えるグループであり、彼らが創り上げた打ち込み中心のエレクトリック音楽は、現在においても世界中のフェスやライブなどで演奏され続けています。

まとめ

90年代のディスコブームを支え続けたパイオニア「デッドオアアライブ」のリーダーであったピート・バーンズは57歳で亡くなっています。

追求し続ける美にこだわるあまり、自身の顔で300回もの整形手術を行った彼は、晩年お金に苦しむことになりますが、彼が残してきた数多くの楽曲は、現在でも様々な場所のナイトシーンで聴くことができます。

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