ロッカーとして本望の最期?
「ジム・モリソン」の散り際とは?この記事ではジム・モリソンの晩年と散り際について解説していきます。
「ジム・モリソン」とは?簡単に説明
いわずとした『The Doors』のボーカリスト。
その音楽性はロック界の伝説となり、そして不名誉ながらも『27クラブ』の初期メンバーとしても有名です。
独特の詩は幼き頃の事故からとにかく本を読み漁ったことから構築されたと言っていいでしょう。
『ハートに火をつけて』『ハロー・アイ・ラヴ・ユー』全米チャート1位を獲得した事でも有名です。
その独特の世界観に加え、セックスシンボル的な存在も相まみえて、ドアーズの中でも突出した存在だったと言っていいでしょう。
「ジム・モリソン」の晩年
独特の世界観、感性が酒や薬によって成り立っていたとは言えませんが、酒豪として知られるとともに大食漢でもあり、晩年は大きく体型が変わっていきます。
1969年のインタビューで「デブは美しい」と答えたのは語り草と言っていいでしょう。
酒か薬の幻覚かはわかりませんが、同じ69年にはステージ上でパンツを脱いで自慰行為に励んだことで大炎上しています。
そもそもモリソン氏と他の3人の関係には68年の『ゼネラル・モータース』が販売する『BUICK』の広告問題でも溝が出来ており、上手くバンドが回らないようになっていきます。
薬の副作用も手伝ってか、トラブルは続き、前述した自慰行為による事件は裁判が1年半に渡って続きました。
強気の言葉を判決時には残していますが、実際には精神的に疲弊。
ステージ活動を辞めることを宣言し、著作活動に専念することを決めたのでした。
「ジム・モリソン」の死に様
1971年7月3日、パリの貴族街と呼ばれるマレ地区のアパートで死亡した姿で発見されています。
死因は心臓発作によるものでした。
27歳没。
第1発見者は妻ではなく、パートナーの「パメラ・カーソン」氏でした。
「ジム・モリソン」の死に様の信憑性
1970年末を持ってライブ活動を休止。
71年3月からパリに移住して著作作業に専念していました。
理由としては裁判疲れと騒がれることから距離を置きたかったからだと後年ドアーズのメンバー「ロビー・クリーガー」が明かしています。
死因に関してはステディのパメラ氏がパリ警察に薬物摂取を証言していたとされますが、近年新たな証言が注目されることになりました。
日本ではルパン三世の峰不二子のモデルで知られる「マリアンヌ・フェイスフル」氏が当時モリソン氏死亡時に薬の売人と付き合っていたと告白。
モリソン氏はコカインだと思ってヘロインを使用。
結果オーバドーズで亡くなった不幸な“事故”だと言うのが事件の真相のようです。
パメラ氏に関していえば、彼女も3年後にヘロインのオーバードーズで亡くなってしまいました。
15年ほど経過してから、ドアーズのマネージャー「スティーブン・シュガーマン」氏の『Wonderland Avenue』でモリソン氏にヘロインを注射したのはパメラ氏だったと新事実が明かされました。
パメラ氏が死の直前に告白したらしいですが、真偽は不明だと言っていいでしょう。
まとめ
1971年7月3日、移住したパリのアパートのバスタブで死亡。
27歳没。
死因は心臓発作と発表されていますが、ヘロインの大量摂取が原因です。
薬物の大量摂取との因果は不明ですが、67年からトラブル続きだったのは間違いありません。
女性連れで2ヶ月連絡が取れなくなるなど、酒、女、薬で身を崩した感は否めないところでしょう。