「ザハ・ハディッド」の人生・人物像の概略を簡単に紹介してから、「晩年・死に際(死因)・死に様の信憑性」を詳しく説明します。
「ザハ・ハディッド」とは?簡単に説明
ザハ・ハディッド(1950-2016)は、イラクのバグダッド出身で英国を拠点に活躍した世界的な建築家です。
ザハ・ハディッドは2020年の東京五輪・新国立競技場のデザインをした女性として知られます。
斬新・奇抜なデザインを具体的な建築物で表現する「脱構築主義の現代建築家」を代表する人物なのです。
日本ではムーンスーン(札幌)やニールバレット青山店の内装デザインを手がけています。
「ザハ・ハディッド」の死に様
ザハ・ハディッドは、2016年に女性建築家としては初めてとなる「RIBAゴールドメダル」を受賞しました。
ザハは建築家として最高の栄誉とされる「プリツカー賞」も2004年に女性として初受賞しています。
RIBAゴールドメダルを受賞して間もない2016年3月に気管支炎が悪化してアメリカのマイアミの病院「Mount Sinai Medical Center」に入院します。
そのマイアミの病院で治療を受けましたが、2016年3月31日に心臓発作を起こして死去しました。
「ザハ・ハディッド」の死に様の信憑性
ザハ・ハディッドがマイアミにある病院で心臓発作で亡くなったこと自体は、大手メディアでも報道されていてその信憑性は高いでしょう。
ザハの死後には、イギリスの「ロンドン・セントラルモスク」にて追悼式も開催されていて、ザハが病死したこと自体は間違いないと思われます。
一方で、ザハ・ハディッドは気性が激しくあちこちで敵を作ったり著作権を巡る訴訟を起こしていたりしたことから、一部で「暗殺説」も流れました。
ザハが約250億円の財産を持っていることから、財産目当ての暗殺説もささやかれました。
しかし、2022年1月の現時点に至るまで、暗殺説を裏付ける具体的証拠は何も出ていません。
「ザハ・ハディッド」の小ネタ等
ザハ・ハディッドはあまりにも奇抜で複雑な建築デザインが多かったこともあり、「アンビルトの女王(実際には図面が建築されない女王)」の異名を持っていました。
ザハ・ハディッドの名前が世界に知られることになったピーク・レジャー・クラブのコンペでも、「爆発して無数の破片が宙に舞っているような独創的デザイン」は実際に建築されることはありませんでした。
東京五輪の「新国立競技場コンペ」のデザインでも建築費高騰を理由に、初期に選出されたデザインは縮小案に変更されました。
まとめ
「ザハ・ハディッド」の人物・人生のあらましを紹介した上で、「死に様・死に際・その信憑性」を詳しく説明しましたがいかがでしたか?「ザハ・ハディッド」の晩年・死因・死に際がどのようなものであったのかを知りたい時は、この記事の解説を参照してみてください。