レイカーズ復権の切り札となった「コービー・ブライアント」の晩年とは?
この記事ではコービー・ブライアントの晩年と散り際について解説していきます。
「コービー・ブライアント」とは?簡単に説明
91年の「マジック・ジョンソン」の引退、『シカゴ・ブルズ』そして「マイケル・ジョーダン」王朝が2度のスリーピートを達成しており、90年代『ロサンゼルス・レイカーズ』は冬の時代を迎えていました。
そのレイカーズ復権の立役者の一人となったのが「コービー・ブライアント」だと言っていいでしょう。
2000年からのスリーピート、00年代末の連覇は語り草になっています。
ネクストジョーダンと呼ばれて期待された選手の中で最も彼に近づき、比較の対象に値する選手でした。
実際ジョーダンも後継者として彼を指名しています。
「コービー・ブライアント」の晩年
2015年11月29日に15-16シーズンでの引退を発表。
「マンバ・スポーツ・アカデミー」を設立。
バスケットボールだけではなく、野球やバレーボール、サッカーや柔術はもちろんのこと、まさかのesportsの施設を併設してあり、驚きを呼びました。
子供達の無限の可能性を実現するサポートは大きな賞賛を呼ぶものとなっています。
ソフトやハードの充実以上に『マンバメンタリティ』と呼ばれる彼独特の哲学を学びに世界中のトップアスリートが競技の枠を超えて、カリフォルニア州サウザンドオークスへ運びました。
「コービー・ブライアント」の死に様
その死は突然のことだったと言えるでしょう。
20年1月26日にカラバサスヘリコプター墜落事故に巻き込まれて、死亡しています。
41歳没。
死因は墜落した時に全身を強く打ったことによる全身打撲でした。
「コービー・ブライアント」の死に様の信憑性
コービー氏の実娘やチームメート、そして野球指導者と全員がスポーツ関係者となりました。
これは全員がマンバ・スポーツアカデミーへ向かうためだったからです。
実娘で次女のリアナ氏のチームのコーチングをするためにアカデミーへ向かっていたとされます。
同日の9時6分にカリフォルニア州オレンジ郡ジョン・ウェイン空港を離陸。
30分の空の旅を経て、同州カマリロのカマリロ空港へ到着。
そこから車で20分かけてアカデミーへ向かう予定でした。
事故当日は通常ルートにあたるサンタモニカ山脈に雲がかかっており、これを迂回する形で進路が取られています。
9時42分にベンチュラフリーウェイに到達し、後は西進するのみでしたが、ここでトラブルが起きます。
レーダーで追尾出来なくなるから高度を上昇させることを推奨する管制官に応じ、パイロットも雲を避けるために高度を上昇。
しかし厚い雲海に入ったため空間識力を失い、機体バランスを維持できなくなり、墜落に及んだのが真相のようです。
エンジントラブルの形跡はなく、ローターブレードも回転していたとされます。
パイロットの空間識失調と航空会社の安全管理が事故の原因として結論づけられました。
まとめ
「コービーブライアント」氏は2020年1月26日に死亡しています。
死因はヘリコプターの墜落による全身打撲でした。
41歳没。
次女のチームのコーチングをする予定で彼女とともに自身の運営するアカデミーを訪れる予定でした。