アメリカの映画史に燦然と輝くその名前「ゲイリー・クーパー」の散り際とは?
この記事ではゲイリー・クーパーの晩年と最期について解説していきます。
「ゲイリー・クーパー」とは?簡単に説明
アメリカの映画史に名前を残す偉大な俳優の一人だと言っていいでしょう。
大出世したのは大スター「マレーネ・ディートリッヒ」氏主演の『Morocco』で彼女のパートナーに抜擢されてから。
自身がアカデミー賞主演男優賞を獲得した『ヨーク軍曹』大女優「イングリッド・バーグマン」との共演『誰が為に鐘は鳴る』など代表作は数え切れないほどと言っていいでしょう。
「ゲイリー・クーパー」の晩年
アメリカを代表する俳優だけに多くのハリウッドを代表する女優と共演。
1957年の『昼下りの情事』では「オードリーヘップバーン」との共演では少しもの悲しいラブコメディを演じるなど、西部劇以外のジャンルでの活躍も多く見られるようになっていきました。
しかし役者人生35周年を迎える節目の年に体調を崩してしまいました。
「ゲイリー・クーパー」の死に様
1961年5月13日に永眠。
60歳没。
死因は前年から患っていたとされる前立腺がんによるものでした。
「ゲイリー・クーパー」の死に様の信憑性
妻である「ヴェロニカ・ヴァルフ」氏は1960年12月の段階で前立腺癌が転移して深刻な状態にある事を告知されています。
実際にクーパー氏が告知されたのは翌年春のことでした。
告知後に告知した医師を逆に気遣う電話をしており、彼の人となりが見えています。
また自身の役者生活35周年パーティーでも全く病のそぶりは見せなかったそうです。
とはいえ病の進行は食い止めることができす、5月初頭には重体に陥ってしまいました。
それが公表されるや否や世界中の著名人やファンから激励がとどきます。
それに対して改めて61年5月4日の新聞広告で謝意を表明。
「私はすべて神の意志であることを信じています。
皆様からのお便りのおかげで、心の安らぎを得ています」と自身の胸中を明かすのでした。
まとめ
「ゲイリー・クーパー」氏は1961年5月13日に永眠しています。
60歳没。
死因は前年より患っていた前立腺癌によるものでした。
60年12月に既に夫人には前立腺癌が転移して末期的だと明かされていますが、本人が自身の病名を知ったのは亡くなる2ヶ月前の3月のことでした。
告知されても取り乱すことはなく、告知した医師を気遣う言葉を投げかけたと言います。
また亡くなる10日ほど前には、既に心を決めていたのか、世界中から寄せられた激励に対する謝礼を新聞広告で掲載しており、人格者としての一面を垣間見ることができるでしょう。