チューリングマシンを知っていますか?
数学を専門的に学んだ方なら言葉くらいは記憶にあるかもしれません。
「計算可能性」に関する議論のために提示した抽象機械を指し、これを生み出したのがアラン・チューリングです。
「アラン・チューリング」とは?簡単に説明
幼少期から天才的な数学センスを持っていたと言われています。
まさに天才。
数学、科学に強く、16歳にしてアルベルト・アインシュタインが書いた文章を理解したそうです。
電子計算機(今で言うコンピュータ)の黎明期の研究に携わり、チューリングマシンによって情報処理の基礎的・原理的分野において大きな貢献をしました。
コンピュータの誕生に重要な役割を果たしたことで、コンピュータ科学の父、人工知能(AI)の父とも。
時代が第二次世界大戦に突入する中で、数学の才能があったチューリングは、暗号解読者としてブレッチリー・パークで働き始めました。
そこでも才能を遺憾無く発揮させ、暗号解読において多くの成果を上げるとともに、大英帝国勲章を授けられるのです。
しかし、暗号解読は機密情報そのもの。
職場から出ると彼の功績は誰にも知らされることのないものでした。
家族でさえも例外ではなかったようです。
「アラン・チューリング」の死に様
アラン・チューリングは同性愛者だったと言われています。
当時ブレッチリー・パークで共に働いていた同僚には気づかれていたとか。
ただ、アラン・チューリングの頭脳は不可欠なものだったため、騒ぎを起こすまでは働いていたそうです。
ただし、第二次世界大戦頃のイギリスでは同性愛は違法ででした。
あるきっかけで露呈してしまったアラン・チューリングは、逮捕されることになります。
知り合った青年を家に招き入れた後、その青年の手引で泥棒に入られてしまったアラン・チューリング。
窃盗の捜査の過程で、自らの同性愛を示すとこになってしまいました。
結果として有罪になったのはもちろんのこと、暗号解読としての職も失うことになりました。
また、彼の功績は表には出せないものだったため、同性愛者が露呈してからは、周囲の者からも冷たい目で見られていたようです。
そんな中、アラン・チューリングは青酸中毒によって死亡します。
発見された時、ベッドの脇にはかじりかけた林檎と、部屋には多くの青酸の瓶がありました。
しかし、かじりかけの林檎に青酸化合物が塗ってあったかの分析はされなかったのです。
「アラン・チューリング」の死に様の信憑性
チューリングの母は、実験中の事故を主張しましたが、自殺で処理されました。
遺書があった、と言われましたが内容には母への遺産に関する内容がなかったこと、チューリングの書いたメモには翌週分の予定が書いてあったこと、などが自殺への疑問点です。
また、国家機密である、暗号解読に携わっていたチューリングを殺害した、と考えることもできます。
当時、同性愛者への風当たりはかなり強く、マッカーシーの「共産主義者とゲイが安全保障を脅かす」という主張のもと粛清が行われてもいました。
死因は青酸中毒。
しかし、なぜそれをチューリングが口にしたのかは、未だに確信がもてないようです。
まとめ
アラン・チューリングの最期についてまとめました。
稀代の天才とも言えるアラン・チューリング。
最期は41歳という若さで幕を閉じました。
自殺だったのか、事故っだったのか、時代に翻弄された暗殺だったのか、定かではありませんが、惜しい才能だった、ということは確かのようです。