この記事では、「エリザベス1世」の晩年や最期について分かりやすく解説していきます。
「エリザベス1世」とは?簡単に説明
「エリザベス1世」はテューダー朝第5代君主であり、イングランド、アイルランドの女王です。
「ザ・ヴァージン・クイーン」や「グッド・クイーン・ベス」、「グリアーナ」とも呼ばれており、イングランドの黄金期を築き上げました。
彼女が統治した時代は名前に因んでエリザベス朝とも称され、彼女が最後のテューダー朝君主となりました。
「ザ・ヴァージン・クイーン」の二つ名からも分かるように彼女は生涯結婚することはなく、自身も「私はイギリスと結婚した」と発言しています。
「エリザベス1世」の晩年と最期
1600年代初頭、「エリザベス1世」の周囲で友人の死が相次ぎ、彼女自身も深刻なうつ病に陥りました。
1603年3月に健康状態はさらに悪化し、4日間座り続けた後、同年3月4日に崩御します。
享年69歳でした。
「エリザベス1世」の死に様の信憑性
「エリザベス1世」は1603年3月24日の午前2時、もしくは午前3時に崩御したと伝えられています。
彼女の葬儀は4月28日に行われ、棺は4頭の馬にひかれた霊柩車によって、ホワイトホール宮殿からウェントミスター寺院へ移送されました。
「エリザベス1世」の死から数時間後、政府首班「ロバート・セシル」と枢密院により、王位はスコットランド王「ジェームズ6世」が継承しました。
「ジェームズ6世」へ寄せられた期待は非常に高く、「エリザベス1世」の死に対して人々は当初、安堵したと云われています。
しかし、「ジェームズ6世」が政務を疎かにしだすと、1620年に「エリザベス崇拝」が復活、同時に彼女に対する評判も膨れ上がりました。
特に、エリザベスを崇拝するプロテスタントたちによって描かれた「エリザベス1世」の肖像画は1799年から1815年にかけて勃発した「ナポレオン戦争」や、19世紀のヴィクトリア朝時代、20世紀中ごろなど、イギリスのシンボルとして、後世に渡り影響を及ぼし続けるのでした。
まとめ
「エリザベス1世」は「ザ・ヴァージン・クイーン」などとも称されるテューダー朝第5代君主、及び同王朝最後の君主であり、イングランドの黄金期を築き上げたイングランド、アイルランドの女王です。
晩年、相次ぐ友人の死が原因でうつ病を患い、1603年、4日間座り続けた後、3月4日に崩御します。
享年69歳でした。